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Channel: 化石ロック兄ちゃんの熱く語れ☆
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これは似てる!?憎みきれないイエローモンキー^^;

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みなさんごきげんよう

昨晩(早朝)NHK・ラジオ深夜便を聴いていたら
名作詞家=阿久悠さんの書いた演歌の特集をやっていまして

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その情景・心理描写の素晴らしさに改めて関心してしまいました。
「懺悔の値打ちもない」・「京都から博多まで」・「舟歌」・「北の宿から」・・・
子供の頃はサッパリ判りませんでしたが名曲揃いでした♪



さてそろそろジュリー特集も大詰め、諸々ご存知の方もお付き合いください^^v

通算21作目のシングル

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1977年9月5日発売・オリコン3位・年間24位を記録しています。
歌謡曲全盛時代にあって流石ですね♪

チョッと髪短め?ですがこれが栄えするんですね~

例によって夜のヒットスタジオの映像より


イントロが始まって白いアメリカン・ポリスキャップを粋に被ると大変身
レザーパンツに片手だけのレザー・グローブ、カミソリのブレスレット・・・完璧な着こなし!
やり過ぎないのが巧いと思います

ギタリストとの絡みも当時としては新鮮ではないでしょうか。

またこのアメポリをわが国で使ったのはジュリーのこの曲がお初だと思います

イメージ 3

この雰囲気は只者ではあしませんネ(当たり前かw)

後のジャパニーズ・ロッカーにも多大な影響を与えまして
ジギーの"I’m Gettin’ Blue"のPVでは
メンバー全員で一つのキャップを使いまわすという荒業を用いていました(笑)

・・・

イエロー・モンキーのメジャー二作目=「未公開のエクスペリエンス・ムービー」

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1993年3月1日発売・プロデューサーは吉井和哉氏本人!
ボクもオリジナル・バンドやっていたのでタイトルの妙と吉井くんの美しさに
「こりゃ参ったな。」と感じました><

初のビデオ作品「追憶の銀幕」から”アバンギャルドで行こうよ”♪


「むずかしいな~」だって
吉井くんのステージングは笑えますね^^;
例によってジュリーの如くエマちゃん(ギター)に絡んでいるし。
このビデオを当時の彼女に視せられた時、
「憎みきれないろくでなしのパクリじゃんよ~」と嫉妬交じりに言い放った覚えがあります。

ボクが目指していたハノイやN.Y.ドールズの雰囲気で
ベタなエイトビートのロックをやってたらダメかも知れない、と判ってしまいましたが
今更髪切ってもな~ここまで上手くないし・・・とまあ引っ張って活動していましたよ、
印刷工や看板持ちしながら。。

・・・

またイエロー・モンキーの成功の理由は吉井くんの存在感と才能、
丸坊主にしたことでも判る思い切りの良さ、
キャラの立ったメンバーの存在感だと思います。

元アーグ・ポリスのベース、キラーメイのギター・とドラム、ムルバスのベース・・・
吉井くんの居たアーグ・ポリスって”静岡のモトリー・クルー”と呼ばれていましたからね、
バッド・ボーイズ・ロックの先駆者だったんですが先を見ていたのか
機材売り飛ばして単身上京、新宿二丁目で働いて何かに目覚めたかなと

デヴィッド・ボウイ等ノグラムロックの影響も大きいのでしょうが
ジュリーを始め昭和歌謡全般、
美輪明宏さんや三島由紀夫からも相当インスパイアされているようですね。

・・・

ボクの世代(それ以上を含む)でメタルでロックに目覚めてある程度活動し、
髪を切るタイミングを逃して妙なことになったヤツ等も多いと思います。

それ位影響力のある音楽でしたし
「モトリーになってやるゼ!!」なんて夢=初期衝動を持たせてくれて
人生を変えてくれたことには感謝していますが、なかなか難儀ですね

身体が悪いせいもあって書き出しとは異なる重い記事になってしまいましたが、
「憎みきれないろくでなし」人生を顔で笑って心で泣いて?過ごすのも一計でしょう^^ノ

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